ほねっとのぶろぐ

アニメとAndroidが好きなほねっとのブログです。

最近、好きな趣味の周りで「○○より△△の方が××」とか「○○な奴は何をやってもダメ」っていうのにげんなりしたので、趣味について考えてみた

Hobby and Figure Shop: Akihabara

 

最近、「○○より△△の方が××」とか「○○な奴は何をやってもダメ」っていう発言をよく見かけてげんなりすることが多い。
自分が好きなものだったり声優さんだったりしたときはもちろんだけど、あまり知らないような(スポーツとかアイドルとか)対象でも、少なからずモヤモヤする。

 

対象はだいたい趣味のことだったりする。そして、同じ趣味でもその趣味の持ち方が違うことがこういった発言の原因なんだと思う。
そう考えてから、冒頭のような発言を自分からすることはほとんどなくなった。

 

趣味ができる過程は、

1.何かしらの媒体でその対象を知る(深夜テレビをつけるとリリカルなのはStrikerSが流れてた)

2.気になり始めてちょっと対象に触れてみる(友達からリリカルなのはの評価を軽く聞く)

3.対象の楽しさを知る(リリカルなのはStrikerSを視聴する)

4.対象をもっと楽しめるよう自発的に工夫する(コミケに並び、リリカルパーティーに参加し、同人誌を描く)

にだいたいは当てはまると思う。

 

ファンの人の楽しみ方は4の過程で作られていくと考えている。
ある人は対象の周辺情報をWikipediaとかで調べるかもだし、ある人はひたすらコンサートに全部参加するかもしれない。
そうやって、趣味対象のいいところや、その対象の楽しさ・情報・価値をたくさん発見していくのが4の過程だと思う。

 

4の過程はある種の地図作りに近い。
趣味を楽しんでいて、「あぁ、こういうところがすごく楽しいんだ!」とか「こんな一面があるんだな!」みたいな新発見がどんどん出てくる。

 

その発見をこれまで自分が蓄積してきた情報とリンクさせていく中で、趣味に対する知識や情報・思い出の広がりがマッピングされていく。
4の過程はとっても楽しくて、その人だけの、その人だから作れる地図が広がっていく。

 

どんどん地図ができていくと、その地図の軸としてだんだん価値観の軸がうかんでくる。

「ツインテールにしたとき一番似合う軸」や「ふりふりスカートを穿かせてみたくなる軸」みたいな、その人が時間をかけて作り上げた軸ができていく。
きっとまたそれがとても楽しい。

 

「○○より△△の方がうまい」とか「○○な奴は何をやってもダメ」っていうのは、発言した人の価値軸においてはそういう評価なのかもしれない。

 

しかし、それを受け取った側からすると、発言者の価値軸での評価が突然押し付けられる。
しかもその価値軸は多くの場合具体化されていないため、「うまい」とか「上」とか「かわいい」とか抽象度の高い記述であることが多い。
それだけ抽象度が高いと自分が持っていた価値軸も包含されてしまう。

 

つまり、自分の価値軸と違う価値軸が、あたかも同じような価値軸のふりをして、いきなり自分に突きつけられてしまう事態が起こってしまう。

 

そうなると、自分が楽しみながら作ってきた大事な地図は「その位置間違ってる」「その軸はおかしい」みたいなことになってしまう。
そこまで地図に文句を言われてると、流石に、自分の大好きな趣味だとはいえ、"好き"に対して迷いや不安が生まれる。
(気にしないタイプの人であればいいかもしれない。)

 

そういったことで、冒頭のような発言に対して不快感を持ったり、最悪の場合大好きだったものから段々離れてしまったりしてしまうんじゃないかと思うわけです。

 

価値軸がみんな違うのはもちろんいいことだし、その中で優劣はあって当然だと思う。
ただ、それを価値軸を抽象化して当然のように同じファンに押し付けるのは、少し踏みとどまって欲しいなと感じた。

 

価値軸をうまく言語化・具体化して説明できたら、きっとその価値軸は他の人に好意的に受け入れてもらえるんじゃないかななんて思った。

 

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