帰りの電車であまりにトイレ(小)にいきたかったので、
文章かいてなんとかごまかすことにした。
そのうち消しそうな文章ができた。
歌手やプロスポーツ選手、芸術家やアイドル、声優や俳優、作曲家や建築家、ゲームクリエイターや漫画家、小説家や演奏家、アニメーターやCGデザイナーとか、世の中には自分が作り上げたもので感動を作り上げられる人たちがいる。タイトルに掲げた"感動"の一次ソースっていうのはそういうことを言いたかった。
その仲間入りしたかったけど、気づいたらその人たちを支える仕事を知らず知らずのうちにやっていて、下手するとこの先もずっとそうあり続けなければならないかもしれない。
そんなことを昨日、一昨日さいたまスーパーアリーナでの物凄いコンサートを終えて感じた。
たとえば自分が作ったアプリを使ってくれている、使いやすいと言ってくれる。
だけどなんだか、頑張って作っているときに夢見ていた、自分が期待していた喜びや世界っていうのを感じられていないことがある。
ほんとに自分が作りたかったの?って言われて、「使いやすさ」とか「ターゲットにうまく当たった」っていうのを
作りたかった理由として自分に言い聞かせてるような気がしてきた。
自分が作りたかったのはツールでもメディアでもなく、
"感動"そのものなんじゃないだろうか。
ほんとはそうなのかも。
今までを無かったことにするんじゃなくて、
いままでの自分から何ができるのか、ちょっと考えてみよう。なーんておもった。
はよトイレ…